心遣い・コミュニケーション

不用意な言葉

草柳大蔵さんの著書「礼儀覚え書」(グラフ社)の中に「不用意な言葉」というページがあります。
その内容をかいつまんでご紹介したいと思います。

日蓮宗の和尚が、聾学校の夏期講習に参加し、テントで一夜を明かした。
あくる日、その学校の役員の方が、テントの傍を流れている川音のために、眠れなかったのではないかと聞かれて、和尚は、川のせせらぎが、まるで子守歌のようで、よく眠れた、と答えた。
手話でその話を理解した耳の不自由な子が、
「その、せせらぎの音というのを一度でいいから聞いてみたい」

その後和尚は、あの時ほど、私という人間の粗末さを感じたことはないと、述懐していたそうだ、という内容です。

この和尚の立場に立って考えてみました。(和尚の本来の気持ちとは異なるかもしれませんが)。
役員の方から、川音がうるさかったのではないか、と聞かれた時、
その役員の方が気を遣って眠れなかったのではないか、という問いに対して、例え眠れなかったとしても、相手に気を遣わせてはいけない、よく眠れました、と言おうとされたのではないでしょうか。
さすが相手を思っての心遣い、という感じです。
また、眠れた、だけでは相手の方に気持ちが伝わり難い。
やはり、ひと言理由が必要だということで、 「せせらぎの音が子守歌のように聞こえた」という一言をつけられたのだと思います。

ですが、この一言を手話で理解した子供は、和尚に対してではなく、素直な気持ちから
「せせらぎの音が聞きたい」と思ったのではないでしょうか。
和尚は、自分にはその音が聞こえるのに、聞くことができない子供に、自分の不用意な言葉で寂しい思いをさせてしまったと悔いを感じたのでしょう。


ですが、ここには、もう一人「不用意」と感じた人がいたかもしれません。
それは、手話で、話の内容を伝えた人です。
何でもかんでも伝えた方が良いのかというと、そうではありません。

人に伝える時、伝える必要がないことは、削除してしまう時があります。
そのほうが、相手の真意をより伝えることができたり、問題が発生しない時があるからです。
逆に、相手が言っていないことをプラスして言うことがあります。

例えば、
「こう思って、言ったんじゃないかと思うよ」
「言葉ではきついことを言っていたけど、本当はとってもうれしかったんだと思う」
などと、一言がプラスされることで、伝わり方が異なります。

もちろん、一言プラスしたり、削除することが、全て良いことにつながるとは限りません。
そこに状況判断や、言葉の難しさがあります。
和尚は不用意な言葉と感じても、この子供にとってみたら、想像の世界が一つ広がった、ということも考えられます。

いろいろと考えさせられる内容でした。


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